・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 片 陰 青々とした空がどこまでも続く、そんな夏の午後だった。 まだ昼間だというのに露店が並び、期間限定の歩行者天国は人で溢れ返っている。 普段はまったく見かけないのに、この日だけはと民族衣装を纏った少女達がこの国独特の、その雰囲気を満喫している。 「まったく、祭りは夜が本番だなんて言ったのは誰だ?」 人の多さに些かうんざりした様子のシュミットがぼやいた。 隣を歩くエーリッヒはそれに苦笑を見せるが、シュミットに反して彼は楽しそうだった。 往来を行く、寝間着にも用いられるというその被服は形こそ同じであるが、その様々な色と柄の組み合わせが眩しい陽のもとで目を楽しませる。 「僕はこういった雰囲気、好きですけどね。大体情報源がミハエルじゃ、貴方も文句は言えないでしょう?」 「それはそうだが……にしても人が多すぎる。しかも蒸し暑い」 明らかに浮いている自分達に、遠慮がちに向けられる好奇の視線を感じながらも、シュミットはむくれながら汗で額に張り付いた前髪を掻き上げた。 機嫌を傾けかけているシュミットに、仕方なさそうに溜息を吐いたエーリッヒは辺りを見回してシュミットの肩に触れる。 「何だ?」 自分の方を向いたシュミットに笑いかけ、彼と目線の高さを合わせてエーリッヒはある一方を指差した。 「シュミット、確かあの階段の上が細い道になってますから、適当に日陰を探して待っててください」 「……お前は?」 「すぐに行きますから」 ね? と首を傾げて微笑めばシュミットが逆らえないことを知っていて、エーリッヒはそれをする。 やや不満げにだが頷いたシュミットは、エーリッヒに指定された場所を目指して一人歩いていった。 その背中に微苦笑をもらしてシュミットを見送ると、エーリッヒは目的のものを探して視線を巡らせた。 「さて……と」 なるべく早く行かないとあとが大変だ、などと考えながらエーリッヒは人混みの中歩を進めた。 「シュミット?」 少し時間が掛かってしまったと焦りながら、長くて急な階段を上りきったエーリッヒはしまった、と髪を掻き上げた。 そこにはうっかり指定した『日陰』が太陽の位置のせいでほとんどなく、またシュミットの姿もなかった。 エーリッヒは仕方なく真っ直ぐ伸びた家屋の間の道を奥に進み、そこから伸びる更に細い脇道を覗いて歩いた。 「遅い」 三本目の、道と言うよりは塀の隙間と言った方が良さそうなそこの日陰にシュミットは居た。 目があった途端に投げられたぶっきらぼうな言葉ほど機嫌は損ねていなかったようで、エーリッヒはひとまずほっとする。 「すみません。これを買っていたもので……」 そう言うとエーリッヒはシュミットの頬にそれを当てた。 「っ……」 突然頬に当てられた無機物の冷たさにシュミットは一瞬目を瞑り、眉を顰めたが、エーリッヒからそれを受け取ると物珍しそうに眺めた。 薄い水色をした透明な瓶が不思議な形にくびれ、その中に詰められた無色透明の液体からは気泡が上る。何より不思議なのは、それの栓の役割をしているものだった。 瓶の口から覗くのは、そこにきっちりと填った硝子の玉で……。 「エーリッヒ、これは飲み物、だよな?」 どうやって飲むんだ、という目を向けるシュミットに、瓶と一緒に貰ったプラスチック製の小さな蓋のようなものを手渡した。 「それを被せて上から押すらしいですよ」 露店のおじさんに教えて貰ったことをそのままシュミットに伝え、エーリッヒはシュミットが力を加え易いようにと瓶の下の方を押さえた。 「どうぞ?」 エーリッヒと目を合わせたシュミットは、訝しがりながらも言われた通りにプラスチックを瓶の口に被せ、上から押した。 予想以上に力が要り、何度か押したのち、思い切って肩から体重を乗せるとカラン、という硝子のぶつかる音と共に白い泡が溢れ、弾けた。 液体となったそれはシュミットとエーリッヒの手を濡らし、腕まで伝った。 「濡れてしまいましたね」 エーリッヒは苦笑をもらす。 「これは、中は普通の甘い炭酸水だな」 瓶の中身を一口呷り、口を離してシュミットが言う。 腕を伝う液体のべたつきはさして気にならないらしい。 「お前も飲むか? 冷たくて美いぞ」 「えぇ」 返事をし、瓶を受け取ろうと差しだした手はシュミットの長い指に絡め取られ、エーリッヒはすぐ背後にあった灰色の壁に背中を預けるようにして口付けを受けた。 合わさった唇から流し込まれた冷たい炭酸水が喉で弾ける。 咽を鳴らすとすぐに、エーリッヒの唇を嘗めて離れたシュミットは、悪戯を成功させた子供のように至極満悦といった風な笑みを浮かべていた。 「まったく……」 目を閉じ、頬を染めたエーリッヒは指で唇を押さえて溜息を吐く。 シュミットは壁によって作られた日陰の中から高い空を仰ぎ、 「今日は天気がいいな」 と、漸く機嫌を取り戻してエーリッヒに向かって楽しそうに微笑んだ。 「そうですね」 敵わないと苦笑しつつ同意したエーリッヒも、日陰の中から祭りの喧噪を遠くに聞き、シュミットの見上げた空を青の眸に映して目元を綻ばせた。 200308 akira |