・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1月5日はいつも… あまりにも静か過ぎるとその空気の音が聞こえるような気がする。 しんしんと冷える冬特有の気配がする。 その静寂の音でシュミットは目を覚ました。 時計を見るとまだ朝の5時で窓の外はまだ夜の続きをしてる。 夜とも朝ともつかないこの時間に目が覚めてしまうと決まって どこか居心地の悪い思いをするのでシュミットはあまり好きではなかった。 視線を落とすと腕の中でまだ小さな寝息をたてているエーリッヒの顔を見つけた 実に気持ち良さそうな邪気の無い寝顔を見つめながら昨夜の(しかし今しがたまでの)記憶を辿る。 昨夜この腕の中で乱れたのとは別人のような、何も知らないような無垢さがそこにはあった。 行為の後のエーリッヒは疲れからかより深い眠りにつくのでそう思うのかもしれない。 そのギャップにいつも戸惑いを覚える。 何度抱いても どんなに泣かせても 自分のものにした気になれない だからこそこんなにも深く捕らわれてしまう所以なのかもしれないが 見つめている内にどれくらい時間がたったのか 徐々に空が白み始めてくるのを感じて視線を窓の方に移した。 夜明けの光だと思っていたそれはシュミットの思い違いであった。 それは 銀色に輝く大粒の雪だった。 夜の暗さの中でわずかな光を反射しきらきらと夜空に光を投げかける。 ああ…また今年も雪か。 「今年もまた雪ですね」 ひとり言を不意に攫われる いつのまにか目覚めたエーリッヒがまだ眠たげな目をこすりながら シュミットと同じ方を向いていた 「お前はよっぽど雪に好かれてるらしい」 小さく笑みを漏らしながら肩を竦めて言う。 「誕生日おめでとう」 「ありがとうございます 本当に毎年決まって雪ですよね」 エーリッヒの誕生日はいつも大雪と相場が決まっていた。 お陰でどこにもでかけられないとエーリッヒは眉間に皺を寄せるが この大雪のせいで誰にも邪魔されず二人だけの誕生日をすごせるので シュミットは毎年そんなエーリッヒにもっともらしい相槌を打ちながら内心ではほくそ笑む。 降り積もる厚い雪のカーテンが二人の部屋を包んで この部屋だけがまるで切り取られた別の世界のようになる。 銀白に輝くその景色をシュミットは嫌いではなかった。 「今年も見ての通りの雪だが どうする?」 シュミットはこの日は計画を立てない。 いつもエーリッヒの好きなようにさせてやる。 雪の中でも出かけると言えば二人でうんと厚着をして外に出るし 温かいお茶が飲みたいなら今日は私がいれよう。 今日はわがままを聞く日。 そういう決め事がシュミットの中で確立されていた。 今日はきみの仰せのままに。 忠実な犬のように言われるがまま。されるがまま。 普段エーリッヒに甘えている分のお返しがこれくらいしかできないとは情けないが エーリッヒも従順なシュミットをおもしろそうに見ているのでそこそこ喜んではもらえているらしい。 もっとも シュミットと違ってエーリッヒが無茶なわがままを言う事なんて絶対に無いので 珍しく甘えてくるエーリッヒにこっちが喜ばされるという本末顛倒ぶりなのだが。 まぁ生真面目なエーリッヒは大体この一日をシュミットの入れる紅茶で始め、シュミットが用意した朝食を食べ、天候が落ち着いているようなら映画でも見に行って、チェスをして…という風にいたって健全に過ごす。 途中何度かキスがしたくなってもこの日ばかりはエーリッヒのお許しがないとそういう行為には及べないことになっている。 抱き締めたい気持ちをぐっとこらえる。 これは割とシュミットにはツライ。正しくおあずけを食らった犬。 その様子が特におかしいらしくエーリッヒは普段めったにやらない誘うようなそぶりを見せてからかってくる。 つまり いつもの立場を逆転させるゲームのようなもの。 いつだったか(確か2年くらい前)エーリッヒに「誕生日は何をして欲しい?」と聞いたら 「じゃあ一日シュミットの自由を下さい」とほんの思いつきで言った言葉から始まったのだが。 今年も禁欲的で健全な1月5日か…外は大雪。 さて今年は何がお望みですか? エーリッヒの言葉をじっと待つ。 「命令を下さい 御主人様。 今日は朝が早いのでうんと長い間お仕えできますよ」 いたずらっぽく言ってやる。 今年も私の自由をどうぞ。 今年も完璧な従者になってみせよう。 そんなことで笑っていてくれるなら。 別に毎日だっていいのだけどそれでは意味がないときみが怒るから。 (もっともそんなことは私が無理なんだが) 暫しの沈黙の後エーリッヒが堪えきれずに吹き出した。 「こ…今年もそれなんですか…っ」 それシュミットが楽しいんでしょと言いながらおかしそうに歪められた口元を手で覆う。細い形のいい指が唇を隠してしまう。 「今日の主役はお前だからね」 何なりとどうぞと気取って言うと声をあげて笑い出した。 「あーもう やめて下さいよ!」 「だってお前去年も相当楽しそうだったぞ? 日頃私の世話をしすぎて鬱憤がたまってるんじゃないか?」 「まさか。 シュミットが大人しく人の言う事きいてるのが 珍しくておもしろかったんですよ」 それはつまり私が普段ちっとも大人しく人の言う事を聞いていないという事か (まぁ あえて否定はしないが) 「二年もやれば飽きると思ってたのに 今年も有効だったんですねぇ」 しみじみと言ってみせるエーリッヒ。 「もう今年はあんまりおもしろくない?」 このネタには賞味期限があったらしい。長くは使えない。 「いや いつやってもおもしろいですけどね」 くすくすと心底楽しそうに笑う。 「でも外は雪だし まだ朝は早いし 寒いからまだ起きる気にもなれないですしねぇ…」 いたずらを考える子供のように視線を巡らせて「命令」を考えるエーリッヒは実に可愛いと思う(という事を言うと怒られるので言わないが)。 このゲームを気に入っているのはこういう顔が見れるから。 何とか命令らしい命令を考えようとする。 まずは服を着ることかな…このままベッドにいるのは私が危険そうだ。 「じゃあね キスをして下さい」 「え!?」 思いがけない「命令」に思いがけず大きな声が出る。 「え ダメですか!?」 「だ ダメではないが……っそれじゃあ意味がないんじゃないか?」 慌てて言う。1月5日はいつも禁欲的で健全ないちにちを……っ なのにそんな朝も早くからもうお許しを頂いてよいものか… というか今 ここで この状態で キスは やばいと思う 「でも僕は今キスがしたいなーと思ったんで」 それは大変嬉しいんだが… シュミットの心を見透かしたようにエーリッヒはまたくすくすと笑い出す。 「ガマンなんてしなくていいですよ。 シュミットのしたいようにして下さい」 「それじゃあ いつもと同じじゃないか…」 嬉しいけど納得がいかなくて非難めいた抗議の声。 「じゃ言い方を変えますね。 『僕がしたいのでして下さい』なら命令になりますよね」 エーリッヒらしからぬ発言に困惑させられる ひょっとしてまだ寝ぼけてるんだろうか…?? じっと凍り付いているシュミットにエーリッヒがまた吹き出す。 「僕がこういう事言うの そんなにおかしいですか?」 「おかし…くはないと思うが。だってお前そんな事普段言わないじゃないか」 「それはね シュミットが言う前にしちゃうからですよ」 ぴっと人差し指を立てて言う。 「ねぇだから今日は僕から言わせて下さいね もっとシュミットの側に行きたいです」 そう言ってキスを。 「…これじゃあ だめだエーリッヒ」 唇が離れたその隙に言葉を滑らせる 参った 今日は本当に完璧にこいつのペースだ 「何がだめなんですか?」 「だって…これじゃ私が嬉しい。私ばっかり嬉しい。 お前の喜ぶことをしてやりたいのに……こんなのはダメだ」 自分でも驚くほど小さくて頼りない情けない声になった。 私がこのゲームを気に入っているのは 分かりやすい形でお前に何かをしてやれるから。 お前に「与える」ことができるから。もらいっぱなしではなくて。 そこまで考えて結局自分のためじゃないかと愕然とする。 しまった このゲームには罠が隠されていた。 気づいてしまった事実に少しの絶望と恥かしさで呆然となっているとその問題の渦中にいる当事者である筈の人物が今日起きて何度目になるか分からない笑い声をあげた。 「勝手に考えて落ち込まないで下さいよ」 本当にシュミットらしくないと言って目じりに滲んだ涙を拭う。 「あのね いつも通りでいいんですよ。 シュミットが嬉しくていいんですよ。 僕は僕のしたいことを言って、それで僕もシュミットも嬉しいなら 僕はもっとずっと嬉しいんですから。」 好きな人が自分の一言で喜ぶのならそれが一番嬉しいんですよ。 言って腕を伸ばして抱きついてくる。 その無邪気な笑顔とさっきの発言がまるで合わなくて私の中でエーリッヒのピースがちぐはぐになる。 戸惑って抱き締め返せないで居ると「勝手なイメージで困らないで下さいね」と言って優しく鼻をつままれる。 そのあまりにも幸せな光景に眩暈がする。 今日は1月5日。大切な大切なきみの生まれた日。 なのにやっぱり私がこんなに嬉しくていいんだろうか? じゃあせめていつもより頑張ってするというとそんなことは頑張らないでいいですと怒られた。 1月5日はいつも大雪が降る 厚い厚い雲とまばゆい白銀の雪景色 二人だけの切り取られた空間 時が止まるほどの幸せ そしていつもきみの新しい一面に驚かされて惑わされる きみがこんなにも大人であること 自分があまりにも小さいということ そしてやっぱりきみが愛しいということも 全てのことを思い知らされる日。 |