・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 嵐の夜に 嵐の夜は 何かが変わる予感がする 吹き付ける激しい風も 全てを洗い流すような冷たい雨も 体の中の真実を暴くためにある 危ないよ 危ないよ 嵐の夜は 何かを変える予感がする だからこれ以上近くに来ないで(近くに来て) 君への距離を見誤ってしまいそう 嵐の夜は 全ての境界線が曖昧になる 「…参りましたね」 突然降りだした雨にすっかりびしょ濡れになってしまったエーリッヒは肌に張り付くシャツに顔をしかめながらその雲行きを見守った。 何とか屋根のあるところを見つけたものの、こう横に吹き付ける雨だと役に立ちそうもない。 事実、今も何とか濡れない場所へと窮屈な思いをしている。 これが自分ひとりならばそうでもないのだろうが…。 傍らで同じように全身ズブ濡れでシャツの裾を搾っている人物に視線をやる。 「そこ、濡れませんか?もっとこっちに来た方がいいんじゃないですか。」 シュミットは声をかけるとちらりとこちらに視線をよこして、またすぐに目を逸らした。 「いや、大丈夫だよ。ありがとう」 そのまま二人は黙って空を見た。 雨足は弱まることを知らず、激しい雨音で二人の間に長い沈黙を落とした。 別に沈黙が気まずいような仲でもないけれど。 このままここにいたら二人とも風邪をひいてしまう。 エーリッヒは先ほどからこちらを見ようともしないシュミットに声をかけた。 「シュミット、このままじゃ風邪をひいてしまいます。 もう充分濡れてしまってるし、いっそ走って僕の家に行った方が良いと思うんですが」 エーリッヒの家までここから直線距離で15分程。 頑張れば10分で辿り着けるかもしれない。 勢いを増した横風に煽られてもう軒下ではとうに逃げ切れなくなっていた。 「……そうだな。このままここにいても止みそうにないしな…」 何となく曖昧な言葉で肯定を示すシュミットの態度にエーリッヒは別段気にとめた風でもなく 「じゃあ、急ぎましょう。早くシャワーを浴びた方がいい」と言ってシュミットの手をとって駆け出した。 勢いよく部屋に飛び込んでドアを閉める。 カギを探すのに手間取って更に濡れてしまったけれどこれでもう大丈夫と息をついた。 全速力で走ってきたが、二人とも全身ズブ濡れで服を着たまま泳いできたように見えた。 しばらくドアに背を預けて荒い息を継ぐ 何となく目が合った 暫くお互い見つめあったままでいたが今度はエーリッヒが視線を外した。 「…おフロ…準備しますね」 水浸しの靴を脱ぎ捨ててぺたぺたと廊下を抜けていった。 その背中を目で追いながら、息を詰めていたシュミットは彼の姿がバスルームに消えるのを確認すると大きく息を吐いてそのままその場にずるずると座り込んだ。 床についた部分が含んだ水分を滲ませて不快だったが今はもうそれどころではなかった。 カギは閉まっていた。灯りも点いていなかった。…エーリッヒの家族は今ここにいないのだ。 シュミットは口元を覆い「さて、どうしたものか」と小さな呟きを漏らす。 「……どうする?」 さっきから雨に濡れたエーリッヒのシャツから透ける肌や、湿って柔かさを増した髪に寒さのために上気した頬に目を奪われそうで必死で視線を逸らしていたのだが。 エーリッヒは思いもしないだろう。 まさかいつも隣にいる親友が、そんな風に自分を見ていることなど。 知られてはいけないのだ。 これは ヒミツの恋だと誓った。 常識という枠にはまったエーリッヒが自分の考えに同意してくれるとは思っていない。 だからもう昔に決めたのだ。 エーリッヒには言わない。 言ってもきっと彼を苦しめるだけだ。 お互いの距離を遠くするだけだ。 思うだけでいい。親友というポジションで満足なはずだった。 そこが誰よりも近い位置なのだと信じていた。 だが今そうした決意は激しい雨に洗い流されたように、 再びこの胸に情熱を注ぐ。 降り注ぐ雨の雫が、二人の間の僅かな距離を埋めるように滴った。 ダメだ… 嵐の夜は危険だ 何かを変えてしまいそうになる 激しい雨に、風に、 隠してきた真実が暴かれる その時 きみはどんな顔をするの? それは少し残酷な考えでもあった 熱いシャワーで体を温めたあと、 リビングでホットミルクを飲んでいると電話が鳴った。 エーリッヒが二言三言返事をして受話器を持ったままこちらを振り返った。 電話は彼の両親からだった。 「シュミット…大雨のせいで道路が通行止めでお母さんたち今日は帰ってこれないそうです。 シュミットが来てるって言ったらもう遅いしひとりじゃ危ないから泊まってもらいなさいって…」 どうします?と首を傾げる。 シュミットは自分の耳を疑った。 その言葉は雨のせいで冷え切ったリビングにいやに響いた。 「泊まってもらいなさいって」 頭の中で警笛が鳴る。 これは危険信号だ。 嵐の夜に 二人でなんて どうする? 誰がその甘い誘いを断ることは出来るだろうか? 暖炉の火が爆ぜる音をたてた。 「…シュミット、寒くないですか?」 二人だけで簡単な夕食を済ませて暖炉の前でテレビを見るともなく眺めていると隣に座ったエーリッヒが体を竦めてきいてきた。 ドイツは夏でも湿度が低く、雨や霧の多い気候なので雨の日には暖炉が必要な程冷え込む。 特に今日のような雨の日は夏というのを疑いたくなる程寒い。 「私は平気だが……寒いのはお前の方だろう。」 言うとエーリッヒは言葉を捜すように黙り込んだ。 エーリッヒはテレビの方を向いていたのでこちらからはエーリッヒの表情は伺えないが、 テレビを見ている訳ではないだろう。ブラウン管には冴えないニュースキャスターが今日の大雨での交通網への影響を淡々と述べている。 ふとシュミットは気づく。 部屋に入ってからやけに口数が少ないこと。 時折こちらを伺うような視線を投げて慌てて逸らすこと。 エーリッヒの首筋が僅かに赤みを帯びていること。 その意味を考えて眩暈を覚えそうになった。 それは、さっきまでの誰かの行動によく似ていて。 胸をざわめかせる。 ああ 嵐が きている この胸に 「エーリッヒ、寒いなら こっちに来いよ」 そっと手を延ばした。 手の甲でその腕に触れてみる。 エーリッヒはぴくりと身じろぎをして俯いた。 手の甲で優しく撫でるとエーリッヒが顔を真っ赤にして振り向いた。 どうして今まで気づかなかったのだろう 気づかないはずがないのに お互いが 見えなくて エーリッヒが震える声で言った 「…こんなのは、変だって。分かってます…」 あとの言葉を封じる為にそっと唇に指で触れた。 温かい息がかかった。 嵐の夜は 全の境界線が曖昧になる もう友達の距離がどこまでかなんて 分からなくなってしまった |