・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 光 ひとりでも平気 悲しくは無い ひとりでも平気 生きてなんていける 辛くても平気 生きてなんていける 信じていたこと 自分は強いこと 誰も信じたりしないこと 全部君に出会う前の話 「……エーリッヒ?」 ふと気配を感じて声を上げた。 熱があるのか全身が気だるくて思うように瞼もあげられない。 だけどこんなに自分に近づく事を許せるのはたった一人だ。 相手はシュミットの声に少し驚いたように伸ばしかけていた手を止める。 「すみません。起こしてしまいましたか?」 案の定、聞き覚えのある声が響く。 「いや、寝付けないでいたから。いいんだ。」 シュミットは相手がエーリッヒだと確認するとまた瞼を下ろす。 「汗がひどいから、せめて着替えをと思って」 エーリッヒはすっかり弱ってしまっているシュミットに心配そうに声をかける。 本当は着替えなんて持ってきていない。 シュミットがあまりにも静かに眠っていたので不安になったのだ。 ……死んでいるのかと思った。 バカな考えだと分かってる。 シュミットはただ風邪を引いて寝込んでいるだけなのだ。 ただあまりにも弱って見えたので不安になった。 今までも何度かこういう事はあったが シュミットは病気のときでもこんな弱い姿を晒したりしただろうか? こんなにも無防備に眠ったりしただろうか? エーリッヒを不安にさせる。 さっき伸ばしかけた手をもう一度上げて シュミットの頬に触れてみた。 熱で上気した頬は温かかったが 顔色は白く 指先に触れる呼吸は浅く弱い 「エーリッヒ、私は大丈夫だからもう部屋に戻れ お前に伝染してしまったら困る。 私はお前のようにうまく看病なんてできないよ」 その言葉とは裏腹に声は掠れてわずかに空気を震わす程度だ。 「今更、強がらないでください。 ………側に、いますから」 そんな弱った姿を見せないで欲しい。 そんな弱っているくせに遠ざけないで欲しい。 何もできないのは分かっていても 今離れればもっと不安になると分かっていた。 「…本当に平気だって。ひとりでも大丈夫だよ。 もうそんなに子供じゃないんだ。」 シュミットは言いながら前にもこんな事を言ったなと思った。 …いや、前はもう少し状況が違った。 あの時は ひとりだった 「シュミット」 けだるい意識を持て余しながらも何とか視線を巡らすとそこには生真面目なチームメイトが何やら難しい顔をして立っていた。 何か用なのかと目をやるが、彼は一向に口を開こうともせずただじっとシュミットを見ていた。 大体にしてシュミットにそんな風に呼んで来る友人なんていない。 成績も家柄も何もかもトップレベルの彼には対等に話し掛けようというような奴はいなかった。 何よりシュミットもそれを望まなかった。 「…何だ?エーリッヒ、用がないなら……」 言いかけた言葉を止めたのは 大して親しくもないこのチームメイトが突然額に手を触れてきたから。 「………っっつ!!」 思わずその手を振り解いた。 そんな風に無遠慮に他人に触れられるのは、シュミットが一番嫌う行為だった。 しかしエーリッヒは振り払われたことなど気にも止めずに逆にその手を掴んだ 「…やっぱり。朝から様子がおかしいと思っていたら。 すごい熱があるじゃないですかっ あなたは何をしてるんですか!? 早く宿舎に戻って休んだ方がいい」 そこまで言うとエーリッヒはそのまま シュミットを引っ張って歩いて行こうとする。 シュミットが慌てて抗議の声をあげた 「離せよっ 大したコトじゃない 方っておけよ。余計なお世話だ」 「大したコトないわけないでしょう。 フラフラしてたクセに。倒れられた方が迷惑です」 ぴしゃりと言い返されてしまった 何だコイツ 何で構うんだ お節介にも程がある 「私はこの程度で倒れるようなヤワな人間じゃない 離せよ。練習に戻らなきゃ……」 「絶対に離しません」 エーリッヒはそこで足を止めてくるりと踵を返すとシュミットに向かってキッパリと言った。 「別に僕はあなたを心配してこんなことするんじゃないです。 ただガマンならないだけです。 そうやって何でも平気なフリをして強がってて 一人で生きてる顔をしてる人が僕は大嫌いなんです」 だからって何でお前にとやかく言われるいわれはないと言い返そうにもどうにも本格的にやばくなってきたのか言葉が出せなかった。 代わりにまた手を振り払って 「分かった。一人で大人しく医務室にでも行くから もうお前は戻れよ」 胸がムカムカするのはきっと気分が悪いからだけじゃない 人の領域に勝手に入り込んで来たコイツに腹が立ってるからだ 「じゃあ医務室までご一緒しますよ。」 さも当然のように言うとまたシュミットの手を引いて歩き出した。 今度はもうシュミットも振り払う気にもなれなかった。 ひどい眩暈がする。 そこでシュミットは意識を失った。 どこか遠くのほうでエーリッヒの声を聞いた気がした 今までだってずっとひとりで生きてきた それが孤独だとは思わない 誰だって本当はひとりだ。 気付かないフリをしてるだけ だから今更手を差し伸べたりしないで 弱くなってしまうから 信じてしまうから ひとりでも平気 悲しくは無い ひとりでも平気 生きてなんていける 辛くても平気 生きてなんていける だから構わないで欲しい 踏み入らないで欲しい 今更温もりなんて与えないで 目が覚めると白い天井が見えた。 医務室のではない柔かいシーツにくるまれていて 自分の居場所を知る 視線を巡らすと部屋の隅から水差しを持ったエーリッヒが近づいて来る。 「良かった…急に倒れるから。」 側まできて椅子に座る 今度は触れようとはせずにそっと伺うように覗き込んできた。 「……何で…ココは私の部屋だろ?」 なぜ医務室にさっさと預けていかなかったのか。 わざわざ宿舎まで自分を引きずってきて甲斐甲斐しく看病なんてしてるんだ。 「医務室にも行きましたよ。 でもそれは昨日のことですから。」 ことも無げに言って見せる。 「じゃああれから丸一日……?」 何をしているんだこいつは 昨日からずっとついてたのか? 「……お前の真意が分からない」 幾分かマシになったものの まだ苦しそうな息の隙間から問いかける 「別に 特に理由なんてないですよ …まぁ強いて言うなら、あなたが僕の名前を知ってたから?」 返ってきた答えに肩透かしをくらう 名前を呼んだから何だって? 「何だ、それ 名前ぐらい知ってるさ」 エーリッヒは肩をすくめて見せた 「他人に興味がなさそうだったから。 というよりは必要最低限近づきたくないカンジですね」 「知ってるよ、お前のことなんて 私のせいで万年次席のエーリッヒ・クレーメンス・ルーデンドルフだ」 少し考えてから答える。あぁそうかいつも僅差で私を抜けない 嫌われてると思っていたのに 「…いやみですね。でも気にしていてくれているということは 僕にもあなたを脅かすチャンスがあるということでしょうか?」 こいつの心が見えない 無償で他人の看病をするには私たちは知らないも同然の仲だ それともただのお節介なのか? 図りかねて黙るシュミットにエーリッヒは静かに答える 「あなたがとても寂しそうに走るから」 目が離せない 強いはずの人なのに そこで目が覚める。 見える天井はあの日の物と変わらないけれど 「シュミット、起き上がれるようでしたら着替えましょうか」 エーリッヒはまだ側にいた。 「……結局戻らなかったんだな」 眠ったお陰で少し回復したのか今度は割合しっかりした声で言って身を起こす。 シュミットの少し非難めいた声を軽く流してエーリッヒは手際よく上着を脱がせると温めたタオルでシュミットの体を拭いてやる。 「あんな状態のあなたを放ってなんて眠れませんよ」 伝染したくないんなら最初からそんなに具合が悪くなるまで放って置かないでくださいと強く言っておく。 「悪い癖です。昔からちっとも直りませんね」 ため息をつきながら半ば諦めてもいる台詞を繰り返す 「……これでも随分マシになったと褒めて欲しいね」 渡された着替えに袖を通しながら 夢で見たのと同じように自分を叱るエーリッヒに妙にくすぐったいような気分になる。 あの時の私にあんな風に触れてくる人間はいなかったから。 傷ついた獣のようだっただろう 弱みを見せずに 全てを敵にして こんなにも近づくことを許してしまうなんて 「エーリッヒ」 「部屋には戻りませんよ。」 まだ帰れと言うのかと少しうるさそうに返すエーリッヒに苦笑しながら 「…いや、いいんだ。側にいてくれ」 そうしてくれると嬉しい 「…え?」 「心配かけて悪い。でもお前にはもう隠さないから。 弱さも 諸さも だから心配はかけるよ。これからも エーリッヒには責任とってもらうことにしたからさ。 決めたんだ」 「責任……ですか?」 身に覚えの無いことにエーリッヒは怪訝な顔をする。 「いいんだ。分からなくて。私が勝手に思ってるだけだから」 シュミットはそう言って笑うと シーツに包まってまた目を閉じた。 こんな風に無防備に眠れるのもお前の前でだけだ 誰かの気配を感じながら眠る心地よさも 目が覚めてひとりではないことも 辛いときには泣いていいことも 誰かを信じていいことも 全部君に出会ってからの話 もうひとりでは生きられない 生きてなんていけない 悲しくて死んでしまいそう こんなにも弱くなってしまった こんなにも脆くなってしまった なのにそれすらも心地よいなんて |