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いつかの夕べ




手を繋いだら
そこから鼓動が伝わってしまいそうで
思わず拒んだ

あなたは少し傷ついたような顔をして
大人しく手を引いた


僕はここでなんて言うべきだったんだろうか?





「お前らケンカでもしたのか?」
チームメイトが「見かねて」という風に声をかけてきた。

早朝練習の後のロッカールームでの会話。

「別に…そんなワケでは…」

答える僕の方も思わずたじろぐ。
別にこれはウソではない。
完全な答えではないにしても、だ。

「まぁ大方シュミットが何かやらかしたんだろうが
 お前も適当なところで許してやれよ」

「それは聞き捨てならない言葉だなぁアドルフ
 なんで私たちがケンカをすると
 『絶対的に』私が悪いんだか納得のいく説明をしてもらおうか」

「シュミット…!お前もうとっくに行ったと思っていたのに…っ」

「いて悪かったなぁ
 そこのヤツに話があるから待ってたんだよ!」

僕を指差して(しかし目は合わさない)言い捨てると「着替えが済んだならさっさと出て行け」と視線でアドルフを追い出しにかかる。
今日のシュミットは機嫌が悪い(いつも良いとは言えないが)とにかく機嫌が悪い。
そこで皆僕とケンカをしたもんだと思っている。らしい。

…確かにそれは当たるとも遠からず、なんだが。

巻き添えはゴメンだとばかりに、あたふたとカバンに荷物を突っ込んでまだベルトも疎かなまま大慌てで駆け出していくアドルフの背中を見やりながら僕はため息をついた。

「シュミット…なんで追い出したりするんですか…
 アドルフ…まだ途中だったのに…」

「私はひとことも『出て行け』なんて言ってない
 だらだら喋ってるヒマがあるんなら十分に着替えれてたハズだろ?」

ロッカールームはこれで無人になってしまった。
いや、正確には僕とシュミットの二人を除いてという意味で。

「エーリッヒ
 お前が私に話があるんじゃないかと思って
 私はわざわざ待っててやったんだが?」

「…それはどうも。
 でも残念ながらお話することは、ありません。」

きっぱりと言い置いて僕もアドルフにならって退散を計る。
しかし次のひとことで引き止められてしまった。

「……なんで、避けてるんだよ、ずっと」

さっきまでの居丈高な口調とは打って変わって自信の無さが透けて見える甘ったれた口調だ。
要するに、拗ねている。
しかし僕は昔からこの人のこの口調に弱い。
もしわざと口調を選んでるのだとしたら相当の策士だとは思うが、シュミットに限ってはプライドが許さないだろうからその考えは徒労というもの。
ここで足を止める理由にはもうひとつ。
僕に思い当たるフシがあり、尚且つそれが痛いところをついているからだ。

「避けてなんて、いませんよ」

考えすぎじゃないですか、とできるだけにこやかに言ってみる。
でもそれはシュミットの目を見て言うべきであって、
更に言うならここで僕から手をとってあげなくては効果はなかったのだろう。
この行動は彼の不安をさらに増徴させるものであったらしい。

「その態度がおかしいって言うんだよ!
 目を、見て話せよな!
 怒ってるなら 理由を言えよ」

ガマンできなくなったのかそこまで一気にまくし立てる。
まるで小さな子供のようではないか。
またそんな風に僕の後ろめたさに水をかける。

「怒ってなんかはいません!
 目を見て話せないのはあなたも同じじゃないですかっ
 だったら理由もご存知では?」

思わず言い返してはっとなる。
しまった これは 言わないでおこうと思ったのに。
案の定、見る見る内に目の前の顔が青ざめていく
絶望の表情だ。
違うと言ってあげたいけれどそれは、今の僕にはできない。

「…やっぱり 怒ってるんだな」

力なくその場にへたり込む。
床に手をついて、罪を告げるように。

「…怒ってるわけではないです
 それはさっきも言いましたよ」

ついぞんざいな物言いになってしまう。
どうしたってこの話題は避けられないのだろうけど出来る限り避けたい。
それも全力で、だ。

「頼む…正直に言ってくれ…
 あの時…お前、何も言わなかったけど…」

「やめて下さい!
 そんな話はこんなところでしたくない!」

僕の制止の声も聞かずにシュミットは続ける。
一番聞きたくなくてそれを恐れてここ数日避けていたのに。

「いや、ここでハッキリさせておくべきなんだ。
 お互いの為にも」

「シュミット!」

「言ってくれよ、エーリッヒ
 本当は……………っ」


「……本当は…痛かったんだろう?」


「……………」
「絶対痛いような気はしてたんだけど
 お前、何も言わないから案外平気なんだと思ってたんだよ」

僕は頭を抱えたくなった。

「……シュミット…それは…
 ちょっと論点が…違います」





僕らは1週間ほど前に初めて同じ夜を過ごした。

それまでもお互い友愛以上のものを感じていたし、
触ったり、キスをしたりするのをとても心地良く感じてもいた。

だから、あの日

相談したわけではないけれど
何となくそれより先に進んでみたくなって手をとった。

あの夜は何もかもを越えられそうな気がして。
やり方なんて勿論二人とも分かってなんていなくて、ただ夢中で体を重ねた。
(詳しいことは思い出したくないのであえて省く)

確かに気持ちのいいだけのものではなかったけれど。
想像した以上にそれは恥ずかしいことだったし
…勿論、本来の役割でないことを強いられる為に、かなり痛みもあった。

(そしてなぜ問答無用で僕が下なのかという疑問もなきにしもあらず…
 あえて追及はしないけれど、せめてカタチだけでも相談して欲しかったと今も思う)

それは考えていた程いいものではなかったのだけれど

問題はその内容ではなくて、その後のこと。

してしまって、夜が明けて、目が覚めたとき
隣で疲れ果てて眠る彼の顔を見て
僕は何てことをしてしまったんだろうと思った。

「後悔」というのとはまたニュアンスが違うのだけれど…
あえて言うなら「兄弟ともし過ちを犯してしまったらこんなカンジ」というところ。
(あまりこれは適切な表現とは言えないけれど、他にいい例えが見つからない)

やたら後ろめたくって、どうしようもない罪悪感に駈られる。
そこには勿論「男同士でいやらしいことをしてしまった」というのもあるのだろうけど。
(実際そういうのも何度か「いいのか?」と思いもした)

そんなレベルも飛び越して
やっぱり「兄弟としてしまった」の方が近いような気がする。

僕らはこういうことをするにはあまりにも近すぎて、
本当に兄弟みたいにいつも一緒にいたから。

過去の僕ら振り返ってみて
まさか何年かあとに口では言えないような色々をしてしまうだなんて思いもしなかったと思う。

そういうものが合わさってその日の朝、
僕はなんとも言えないいやなかんじを胸に抱えて
シュミットに「おはよう」も言わずに部屋を出てしまった。

そのかんじはシュミットと「そういう風に」付き合うようになってから
何度かよぎった感情ではあったけれど、
手を繋いだり、抱きしめたり、キスをしたりする時の比ではなかった。

それだけ生々しい行為に及んでしまったのだ。

僕はそのことに気づいた時、本当に後悔した。


本当は越えてはいけなかったのではないだろうか?


だから暫くはまともに顔を合わせられなくて何かと理由をつけて避けてきた。

3日後くらいに、やっと普通にしゃべれるようになってホっとしたのも束の間。
シュミットが不意に触れてきたその手を、思わず振り払ってしまったのだ。

温かな手を、無下に。

そして思わずその場から逃げ出してしまった。

僕はシュミットが恐かったわけじゃない。
痛かったから、いやなわけじゃない。

ただ、何の気なしに触れてきただけの
何の意味も持たない掌にさえ緊張してしまう自分のおこがましさ。
そのままうまくいったらキスをして
どうにかなればまたあの行為に及ぶかもしれないと思うと
胸の内はあの朝と同じいやな感じに支配されるというのに、
どうしたって鼓動は早くなってしまう浅ましさ。

そういうのが一気に襲ってきて、
全てがないまぜで、分からなくなってしまったのだ。

だから、シュミットが怒るのも当然だと思っていた。

勝手に気まずくなって、傷つけてしまったのは僕なのだから。
でも誤解を解こうにも言葉が見つけられなくてずっと避けていた。




「そんなに痛いなら、もうしようなんて言わないから。
 今までどおりでいいから、
 いやになんて、ならないでくれよ…っ」

丸っきりの早合点ですっかり落ち込んでしまったシュミットが
正に「床に這いつくばる」というカンジで許しを乞っている。
僕は、てっきりシュミットも同じようなことで考えたりしてるのだと思っていたのに、
次元の違うことを持ち出されて戸惑った。

そんな…痛かったから嫌いになるとかいう問題じゃ、ないんですが。
まぁ確かにとんでもなく痛かったですけどね。

シュミットは僕とは別の意味でこの1週間後ろめたい気持ちを抱えていたらしい。

何だかかみ合ってるんだかかみ合ってないんだか…
こんなことで悩んだりしてるのがひどく馬鹿馬鹿しく感じる。

「シュミット…別に僕は痛かったから
 怒ってたり、嫌いになったりするんじゃないですよ。
 というかそもそも怒っても嫌ってもいません」

何度目かになる反芻。
でもこれは答えにはなっていなくて、
違うのだということを どうやって伝えれば納得するんだろうか?
言葉が うまく見つからない。

「じゃあ、どうしてあの時手を振り払ったりしたんだ。
 どうして次の日の朝黙って出て行ったりしたんだ…
 なんで目を合わせてくれないんだ…」

どうしてどうしてと一人で落ち込んでいくシュミットを見て僕は呆気にとられる。

(そんなに嫌って欲しいんだろうか…)

シュミットってこんなウジウジした性格だっただろうか…。
以前から密かにちょっと情けないとこや甘ったれたところは確かにあったけど、これはひどい。
こんなに格好悪いのは初めて見たかもしれない…。

やっぱりする前と した後では違うのかな、
なんて考えている内にシュミットはどんどん自ら墓穴を掘り進んでいってしまう。

「どうして自分で勝手に落ち込んでいくんですか
 シュミット…そんなのはあなたらしくないですよ」

「らしくなくたって、いいんだよ。格好悪くたって。
 あの夜、お前と して
 本当に好きだって思ったから
 そんなことでお前を手放したくないんだ。
 だからどうしたって格好悪いけど、それだけお前のこと
 好きなんだから、しょうがないんだよ」

早朝のロッカールームで
明るい朝の光の中で
ましてや男同士で

それはあんまりデキのいいセリフではないし
第一シュミットの考えてるのと僕の考えてるのとでは
悩みの種類が45度ほどずれてしまっていて、てんで的外れなのだけど。

シュミットはそれだけ僕に好きでいてもらいたくて
それだけ好きでいてくれてるんだなぁと思うと
変に後ろめたくなっていた自分が恥ずかしいような気持ちにさせられた。

ああ もうきっと、そんなのは問題ではないのだ。


ただもう 今は この人を許してあげたい。


理由があろうと、なかろうと
この人が僕のためにこんなに許しを求めているなら許してあげたい…。

「確かに痛かったけど…いやではありませんでしたよ。
 たった一度だけで決めるには早いでしょう?」

言って僕は膝をつき、
今にも泣き出しそうな愛しい人の手を取る。

僕ら以外誰もいない埃っぽい朝の光の中で、僕らはそっとキスをした。

ここ数日の気まずさの、本当の理由はまだとても言えないけれど
いつか、何度も同じ夜を重ねた後で、
初めての日はこうだったと言える日がくるまで今はまだそっと秘密にしておこう。

たった一度きりで決めるには、まだ早いし。

何よりも僕はやっぱりこの人をそういう風に好きになってしまったのだから。
今更どこに戻ろうとしても仕方無い。






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初出2003年12月29日「いつかの夕べ」より

アップしたつもりですっかり忘れていた話。
というか意図的にアップしてなかったのかも…?
この本自体はWEB再録本と銘打っていたのですが
再録だけではなーと思って急遽イベント直前に2本書き下ろしをぶち込んだのです。
(もういっこは「かくも甘き沈黙」)
基本的に推敲とかあまりしないのですが
この文章だけはどうにもやっつけ感が強すぎて…
文中の表現に全然納得いかずもう二度と人様の目に晒したくないと恥じ入っておりました。
が ここへきてもうどーでもよくなったので
密かに手直ししつつアップ。

シュミエリ初めて話。
他にも何本か初めて話のバリエーションあるのですが
総じて失敗談ばかりというのが何とも(笑)
機会があればそれらもいつか。

20060829