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雪割りの花




いつもより幾分遅めにそのドアを開けたシュミットは声をかけようとして動きを止めた。
時計を見ると、もう十二時をとうに過ぎ、そろそろ一時になろうとしている。
やれやれと息をつきながらシュミットは部屋の奥へと進み、自分の机の上にうつ伏せたまま眠ってしまっているエーリッヒの肩に手をかけた。
「エーリッヒ、こんなところで寝ていると風邪をひくぞ。眠いのならベッドに行け。」
軽く揺すってみるが、一向に目覚める気配がない。
(ここのところ随分と疲れてるみたいだったからな・・・。
先に眠っておくように言っておいたのに・・・・・・。)
自分を待っていてくれたのではという期待に自惚れ過ぎだと苦笑して打ち消しながら、エーリッヒをベッドに移動させてやるためにその体を抱きかかえるようにして持ち上げる。
エーリッヒが起きていれば死んでもさせてくれそうにない格好だと思いながら軽くその腕に力をこめると、エーリッヒがシュミットの胸に頬を摺り寄せてきた。
「・・・エーリッヒ・・・?」
呼びかけてみても返事はなく、どうやらシュミットの温もりを求めて本能的にとった行動らしい。
シュミットはそんなエーリッヒの幼い仕草を愛しく思いながらエーリッヒの体をベッドに横たえてやった。
優しくシーツをかけてやり、自分もそろそろ眠ろうと自分のベッドへ向かうために体を離そうとする。
しかし、シュミットはいつの間にか伸びていたエーリッヒの腕にシャツの裾を捕まれ、その場に繋ぎ止められてしまった。
いくらシュミットがその腕を解こうとしてもエーリッヒはシャツの裾をきつく握り締め、胸に抱き込んでシュミットのそれを防いだ。
「・・・・・・エーリッヒ・・・お前、本当に眠っているんだろうな?」
エーリッヒの行動を訝かしみながらシュミットは尋ねるがやはり返事はなく、代わりに規則正しい寝息が聞こえてくる。
(・・・まぁ、例え起きていたとしてもこんなことはしてくれないだろうけどな。)
ため息を吐いてシュミットはその腕を解くことを諦めて自分も一緒にベッドに潜り込んだ。
そっと抱き締めてみるとエーリッヒは一瞬腕の中でぴくりと身動きしたが、シュミットの体温が心地良いのか自らその温もりに体を預けてきた。
さっきまでシュミットをベッドに縫い付けていた手はいつの間にかシャツの胸元に移動し、それがごく自然の事のようにそこに顔をうずめてくる。それはさながら子猫を思わせる仕草でもあった。

シュミットは腕の中で穏やかな呼吸を繰り返す暖かい体に少なからず安堵感を覚えている自分に気づいた。
思えばふたりがこうして触れ合うのは随分と久しぶりのことで、ここ最近続いていた忙しい日々に心身共に疲れきっていた。
それはエーリッヒも同じで、むしろ生来人に気を使う性分のエーリッヒはシュミット以上に疲労を感じていたのかもしれない。

「・・・・・・それでもお前は、何も言ってくれないんだな。」

不意にこみ上げてくる寂しさのようなものを隠すことなくシュミットは口にした。

眠ってでもいなければこうして寄り添って甘えることもしない。
自分の弱さを知られたくなくて、決して他人に身を任せようとはしない。
それがエーリッヒの強みなのだといつかミハエルは言っていたが、シュミットはそうは思えなかった。



それは『強さ』というよりは『脆さ』に近い。支えを失っていつか崩れてしまうのではという不安を禁じえない危うさがある。

きっとエーリッヒはどんなにギリギリになっても決してそれを口にしたりはしないだろう。


例え、それがシュミットでも。


シュミットはエーリッヒの人との間に壁を作る習性にいつももどかしさを感じていた。
こんなに側に居るのに、こんなにもお互いを近くに置く事を許しているというのに、時折ひどく遠く感じることがある。
それはシュミットの心の隅に常に不安となってわだかまっていた。
シュミットはエーリッヒを抱き締める腕に力をこめて瞼を閉じた。


沸き起こる不安を掻き消すために。




ブラインドの隙間から差し込んでくる光の眩しさに、眠っていた意識を引きずり出されるのを感じながらエーリッヒは無意識に体を密着している温もりにすがりついた。
頭の隅では起きなければと思うのだが、疲れきった体がいうことをきかず、起き上がることを頑なに拒む。

このままもう暫く眠っていたい・・・…

うつうつとしていると、その髪に優しく触れてくる誰かの手を感じた。
それはひどく心地よくてエーリッヒの心に安堵感となってじわじわと広がっていく。
誘われるままに眠りの淵に滑り込みそうになっていたエーリッヒに残されていたひとかけの理性がひとつの疑問符を打ち出した。

(・・・一体誰が・・・・・・?)

疑問が明確になっていくにつれ、エーリッヒの意識も急速に覚醒し、はっきりと自分を抱き締めている腕を認識する。
それでもまだ目覚めることを拒む体を叱咤して、重い瞼を何とか開いた。
目を開けるとすぐ側に見知った顔があり、自分をすっぽりと腕の中に包み込んでいた。


「…っシュミット!?」
エーリッヒは自分の置かれている状況を確認すると羞恥のあまりその腕の中から逃れようと必死でもがいた。
「こらエーリッヒ、『おはよう』も言わないでそれはないんじゃないか?」
逃げようとするエーリッヒをしっかり抱き締めて、シュミットは文句を言ってきた。
「だって…何でこんな…っ…」
シュミットに抱き締められて身動きができなくなってしまったエーリッヒはせめてもの抵抗として俯いてシュミットと視線が合わないようにして非難の声をあげる。
シュミットはため息をついてやっぱり寝ぼけていただけかと内心ガッカリしながらも、エーリッヒを解放してやるつもりは微塵もないらしく、隙を突いて何とか逃れようとするエーリッヒを拘束する腕に更に力を込めた。
「言っておくが、昨日はお前が私を離そうとしなかったからなんだぞ、この状況は。
…私はお前をベッドまで運んでやっただけだ。」
「え……僕が…?」

意外な言葉に、エーリッヒはもがくのをやめてシュミットを見上げた。その瞳は大きく見開かれている。
シュミットは少し不機嫌そうな顔をして続けた。
「お前、眠っている時の方が素直に甘えてくれて可愛かったぞ。」
「一体僕は眠っている間に何をやってしまったんですか?」
シュミットの言葉に些か不安を感じながらエーリッヒは尋ねた。
シュミットはもっとエーリッヒの困った顔が見たくて、抱き締める腕をそのままにエーリッヒの耳に囁きかけた
「お前をベッドに運ぼうと抱えたら、お前、自分から私に擦り寄ってきて甘えてくれたんだぞ?それからベッドに運んだ後もシャツを掴んで離してくれなかったじゃないか。それで仕方なく私も一緒にベッドに入ったんだが、今度は私に抱きついてきて全然離れてくれなかったんだ。……覚えてないか、やっぱり。」
エーリッヒは聴いている内に段々顔が赤くなっていくのを感じていた。自分でしたこととはとても思えない。
話を聴き終わる頃にはシュミットを正視できないくらい真っ赤になって、彼の望んだ以上の『困った顔』を見せてくれた。
「……それ、本当に僕がしたんですか?」
羞恥心で消え入りそうなくらい小さな声でエーリッヒは言った。
「ああ、全部お前のしたことだよエーリッヒ。お前があんまり可愛いことをしてくれるから私は自分を抑えるのが大変だったんだからな。」
自分が昨夜考えていたことはそれとなく外して、ちゃかすような口ぶりで言ってやる。
「………………。」
エーリッヒはこれ以上ないくらいに赤面して、ついに顔を上げられなくなってしまった。

「いつもあれくらい素直なら嬉しいのにな。」

ほんのからかいのつもりで言った言葉に、エーリッヒは不安げにシュミットの顔を見上げてきた。
「素直に甘えた方が……嬉しいですか?」
まるで今の自分では満足ではないと言われたように、その瞳には目に見えて不安の色が伺えた。
(……別にそんなつもりで言ったんじゃないんだが…・…。)
シュミットはエーリッヒを安心させるように優しく髪を撫でると、小さな子供を宥めるように言ってやった。
「別にエーリッヒに不平を言ってるんじゃないよ。今のままでも私は十分お前が好きだ。
ただ、お前は少し人に気を遣い過ぎるから、誰に対しても遠慮が過ぎる。
…私にくらい、甘えてくれてもいいと思うんだがな。」
最後のは少々愚痴っぽいかとも思いながらシュミットはそこまで言い終えるとエーリッヒの表情を伺った。
エーリッヒは驚いたような哀しいような複雑な表情をしてやはりこちらを見ていた。
「……僕は特に気を遣ってるつもりはないんですが…あなたにはそんな風に?」
エーリッヒはシュミットから視線を外してそっけなく言った。
それが痛い所をつかれたときのエーリッヒのクセだということを長年の付き合いからシュミットは知っていた。
「見えるも何も、昨日の夜疲れて机に向かったまま眠ってしまったのもそのせいだと私は思ってるんだが、違うのか?」
「あれは……確かに昨日は疲れていましたが……。」
そこまで言うとエーリッヒが何かを自分に隠しているのだとシュミットは察知して昨夜の不安もあいまってつい追求する口調を強めてしまう。
「疲れていたなら何故ベッドに入って早く眠ってしまわなかったんだ?部屋に戻るのは遅くなると言っておいたはずだぞ。」
シュミットの強い口調にエーリッヒは観念して小さく息を吐いてから、視線を逸らしたまま小さな声で言った。
「……あなたに『お休みなさい』を言わないで一人で先に眠ってしまうのがいやだったんです。
でも、あなたを待っているうちに眠ってしまって……・。」
言い終わるとエーリッヒはシュミットの方を伺うようにちらりと視線を向けた。
するとシュミットは驚いたような顔をしてエーリッヒの顔をじっと見ていた。
その頬は少し上気して赤いように思えた。
「あの……もういいでしょう?手、離して下さい…。」
何となく気まずくなってエーリッヒが言うと、シュミットは意外なほどあっけなくその腕を解き、すまないと謝った。
エーリッヒはシュミットから解放されると、ベッドから起き上がることはせず、少し距離をとってシュミットと向かい合ったままで枕を真中に引き寄せた。
さっき自分の言った言葉が恥ずかしくてそのまま枕に顔をうずめる。
視線を合わさないようにしながらそっと伺うと、シュミットはエーリッヒの言った言葉に随分と動揺しているらしく、困ったように視線を彷徨わせていた。

まさかエーリッヒがそんな風に思っていてくれるなんて……

シュミットは嬉しい反面、今までそんな言葉をエーリッヒから直接聞いたことがなかったので驚きも大きかった。
いつもは平気なはずなのに、今は照れくさくてエーリッヒの顔がマトモに見れない。
「シュミット…別に僕だってあなたに甘えたくないわけじゃないんですよ。僕だって素直に甘えたいと思う時もあります。でも……」

いつも、勇気が 出ない…

そう呟いた声はあまりにも小さくて、頼りなげにうすく開かれた唇にそっとのせられただけだった。
シュミットは少し戸惑いを感じながらただ静かにその輪郭をなぞるようにエーリッヒの頬に指を滑らせた。
エーリッヒは瞳を閉じてされるがままにしていたが、やがてその掌に自分から頬を摺り寄せ、小首を傾げておずおずと小さな声で尋ねてきた。
「シュミット……あの…甘えてもいいですか?」
シュミットはそれを聞くと苦笑しながら優しくエーリッヒの頬をつねった。
「それが遠慮だって言うんだよ。そんなこと、いちいち聞くもんじゃないだろうが。」
照れているのを悟られたくなくて、少し怒ったような口調でそう言うと、赤くなった自分の顔をエーリッヒに見られないように再びエーリッヒを自分の腕の中に抱きこんだ。
今度はエーリッヒも抵抗しようとはせず、シュミットの腕の中で心地良さそうに瞳を閉じた。

「エーリッヒ……」
いつもよりも素直なエーリッヒの態度に昨夜の不安がゆっくりと溶けていくのを感じながら名前を呼んだ。
「遠慮なんかしなくていい。甘えたいときには甘えて、辛いときには頼ってくれればいい。
倒れそうになったら私が支えてやるから。」
シュミットの言葉にエーリッヒはこくんと頷くと、シュミットの背中に腕を回してぎゅっと抱きついてきた。 そのまま顔を上げてシュミットを見上げるようにして言った。
「しばらく僕の寝坊に付き合ってくれませんか?……今日は何の予定もありませんし。
…このままあなたと眠っていたいんです」
密接したエーリッヒの体から直にその鼓動を感じる。それは心なしかいつもより早いような気がした。
シュミットは返事の代わりにエーリッヒの唇をそっと掠める。
エーリッヒは黙って瞳を閉じたが、シュミットもそれ以上何もしようとせず、ただ黙ってエーリッヒを抱き締めた。
ふたりはひとつのベッドの中でお互いの体温を感じながらゆっくりと再び眠りにつこうとしていた。



「…シュミット……」
エーリッヒはだんだん瞼が重くなってきているのを感じながら、そっとシュミトに声をかけた。
「ん?なんだ、エーリッヒ」
シュミットも連日の疲れが出たのか眠たげに問い返してくる。
「……ありがとうございます」
「何がだ?」
それが何に対しての感謝なのか図りかねてシュミットはもう一度問いかける。
「色々と…ですよ」
エーリッヒは微笑んでそういうと、やがて静かに寝息を立て始めた。
シュミットもその本意を問いただすことを諦め、そのまま眠りについた。


春の訪れを感じさせる柔らかな日差しがふたりを包んでいた。





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初出 1999年4月11日
1999年ですって……・!!!!オボボ…
たしかこれは初個人誌を作った時にあまりにも自分の絵がヘタクソだったので
ビックリして小説を書いてみたんだと(試験的に)
あえて殆ど直しは入れてませんが…エ〜〜〜〜
コイツ乙女ダナァ…ホントエリ子好きナンダナァ(客観視)
きゃ〜恥ずかしい。
この3年も前のこんなコピー本を大事に保管しててくれて
ありがとうございます>りーだー
表紙の絵が…シュミットがすごいヘタクソで努力のあとが見れないので
この時からゆたかはエーリッヒしか見えてなかったんだナァと。
(シュミエリストとしてそれはどうか)










































オマケ(にもならない)